大崎市岩出山の由来とは?
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宮城県大崎市の一部である岩出山(いわでやま)は、その独特の地名の由来や豊かな歴史背景を持つ地域です。地名は、その土地の地形や歴史を映し出すものであり、岩出山も例外ではありません。本記事では、岩出山の地名の由来とその意味、さらに岩出山の歴史を詳しく紹介します。地域の成り立ちを知ることで、岩出山の魅力とその歴史的価値を再発見してみましょう。
地名の由来と意味
岩出山という地名の由来は、1591年に伊達政宗が本拠地を米沢から移した際に改名されたことに起因します。それまでの地名は岩手沢(いわてざわ)でしたが、政宗はこの地を岩出山(いわでやま)と名付けました。地名の変更は、政宗の新たな出発とこの地域の発展を象徴するものでした。
岩出山の歴史
伊達政宗の時代
岩出山の歴史は、伊達政宗と密接に関わっています。1591年、政宗は米沢から岩出山へと本拠地を移し、この地で12年間過ごしました。この期間中、政宗は岩出山城を築き、町割りを行い、城下町としての基盤を築きました。岩出山城は中世には岩手沢城と呼ばれ、大崎氏の重臣である氏家氏の居城でしたが、政宗が居城とすることで岩出山に改められました。
江戸時代
政宗が仙台城に移った後、岩出山は政宗の四男である伊達宗泰が治めることとなり、幕末に至るまで宗泰の家系がこの地を統治しました。岩出山伊達氏は、仙台藩一門の中でも特に有力な一族であり、1万5000石余の大身を誇っていました。この時代、岩出山は学問や文化の中心地としても発展し、有備館(ゆうびかん)という学問所が設立されました。
現代の岩出山
名所と観光スポット
有備館
有備館は、江戸時代初期に建てられた岩出山伊達氏の学問所で、現在もその美しい回遊式庭園とともに公開されています。訪れる人々に、当時の学問と文化の香りを感じさせます。
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旧有備館 及び 庭園
所在地:〒989-6433 宮城県大崎市岩出山上川原町6
岩出山城跡
岩出山城跡は、伊達政宗が築いた城の跡地であり、現在は観光名所として多くの人々が訪れます。城跡からは、江合川の美しい景色を望むことができます。
所在地:〒989-6437 宮城県大崎市岩出山城山
あ・ら・伊達な道の駅
一栗地区池月にある「あ・ら・伊達な道の駅」は、全国でも有数の売上高を誇る巨大な道の駅で、近くの住民だけでなく観光客にも重要なスポットとなっています。
所在地:〒989-6405 宮城県大崎市岩出山池月下宮苗代目4−1
文化と祭り
政宗公祭り
政宗公祭りは、伊達政宗を記念して行われる祭りで、毎年多くの観光客が訪れます。武者行列や各種イベントが行われ、地域全体が賑わいます。
経済と産業
岩出山地域は、農業が盛んであり、特に米作が主な産業となっています。また、地域の名産品や農産物のブランド化も進んでおり、観光と結びついた経済発展が見られます。
【大崎ニュースサイトへの想い】
故郷の大崎市に戻り、日本茶文化を中心に地域文化を愉しむ「日本文化サロン」を開くことを目指しています。地域文化を生活に取り入れることで、人生が豊かになり、自信を持つことができると考えているため、地域を再発見するローカルメディア「大崎ニュースサイト」の運営メンバーに参画しました。かつて茶道を学んでいた時期に、一度は文化の道を諦めましたが、多くの方々から応援の声をいただき再起を決意。ぜひ「みんなの日本茶サロン」もご覧ください。
【プロフィール】
宮城県大崎市出身。仙台の大学卒業後、500年の歴史を持つ京都の老舗和菓子屋に勤務。京都にて文人趣味や煎茶道、生け花、民俗画を学ぶ。その後、日本文化専門のマーケティング会社でブランディングPRを担当し、現在はフリーランスの茶人として、日本文化の普及とPRに取り組んでいます。茶を通じた日本文化の魅力を国内外に発信し続けています。
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